関ジャニ∞とわたし
私の人生にはたくさんの推しがいて、とっても楽しくて幸せだ。
自分の感情は自分のものだし、大事に抱えておけばいいと思ってた。
けど昨今の世の中だったり、心境の変化があって。
とりあえずいつまで続くか分からない、その感情を形に残します。
まずは関ジャニ∞、行ってみよ〜〜
目次
- エイトとの馴れ初め
- エイターになったきっかけ
- すばるくんと亮ちゃん
- 今、5人と見たい景色へ
- エイトとの馴れ初め
2016年10月8日、2008年に人生で初めて出来た推し・佐藤健くんが「関ジャニ∞クロニクル」に映画「何者」(個人的に色んな意味でトラウマ級の就活映画)の番宣で出演することになった。
大丈夫!?!??!?!?!?インドアお友達は少数派健さんが、わちゃわちゃ関西人にめちゃくちゃにされない!?!?!?
まあ最初の気持ちはこんな感じだったけど、普通にめちゃくちゃ楽しみだった。
関西生まれ、ほぼずっと関西育ちの私にとってエイトは、ジャニオタでなくてもご当地アイドル(言い方)だった。
中学で仲良しだった友人は、亮ちゃん・ひなちゃん担だった。だから意外にもエイトではこの組み合わせを一番最初に認識してましたね。
始まってみたら健さんはメンバー全員と初対面、ぎこちないスタートに見えたけど、彼らはとっても優しくて面白くて、健さんの良さを短い時間でたくさん引き出してくれました。
放送終了後は、健さんよかったね関ジャニ∞さんありがとうの気持ちで幸せだった。
テンション上がりまくって、当時の彼氏にしばらくクロニクル面白い楽しいっ!!!!て言いすぎてヤキモチ妬かれた謎記憶。
で、気づいた。
関ジャニ∞、めちゃくちゃいいな????
そんな馴れ初め。
- エイターになったきっかけ
馴れ初めからしばらくは、特に誰が好きとか、そういう感情はなく 、エンターテイメントとしてクロニクルをひたすら鑑賞する生活。
そして2017年に入り、人生のどん底期が始まります!!!!!
大学4回生、私は三重苦に見舞われていました。
①就職活動
とにかく足を運んで見ないと気が済まない、当時大変な性格であったため、疲労マックス。早いうちに内定は獲得していたものの、第1希望は1次面接で不合格。
第2希望は最終面接で不合格という有様。
②友人関係
理系だけどサークル(音楽系)も妥協したくないと一生懸命やっていたのはよかったの。
私以外就活生がおらず、価値観が合わなくなり(元々めちゃくちゃ違ったのに気づかなかった)、最終的にいじめ・リンチレベルのことをされ、チームは解散したのにリーダーだった私以外でまたチームを組まれるっていう。
私の友達は全員味方してくれて、その後幸せに卒業できたので、今は心底どうでもいい。
③恋愛
3年一緒にいた先輩彼氏が!!!!!当時1番仲が良かった先輩に取られた!!!!!
就活始まった時点で、一緒にいる時間が短くなるのが決まった時点で、想定していた最悪のシナリオ通りになって。
三重苦自体は、2017年1月〜6月くらいの話なんだけど、本当に断片的にしか覚えてない。
記憶力には元々かなり自信がある私が、これだけ記憶がないっていうだけで、私的にはどれほど異常な時期だったんだろうって感じ。
そんな2017年6月、元気が出るからと、もはやしがみつくようにエイトを見てた。
そんな時に、ふと、エイトはライブでふんどしになったことがある、という豆知識をみて。
はい???????????ってなった。んなアホなと。
Google大先生でググって、読んだ「ビースト!」についての考察ブログをみて、丸山隆平、丸ちゃんに堕ちました。
当時のブログを探したい、、本当に上手に書いてあった、めちゃくちゃ面白かった。
けど、本当にハマったのは、章ちゃんの舞台「俺節」6月29日公演を観劇したことでした。
当時まだファンクラブにも入っておらず、とりあえずエイトの作品に触れたいと思った私は、ネットで章ちゃんがジュニアだった頃から応援されている大先輩ファンからチケットを譲っていただき、一緒に観劇させていただきました。
3階のギリギリ章ちゃんが見える席だったなあ。
全然まだ章ちゃんのことも、エイトのこともわかっていなかったけど、手紙も書きました。名前の呼び方すら定まってなくて、ヤスへ、って書いてたなあ。
雨の中歌い続ける、魂の歌を届ける章ちゃんの舞台を見て、まだ私の人生諦めてはいけないと、就活も続けようと、そう思わせてくれました。
浅く聞こえてしまうかもしれませんが、一度全てを突然失った私にとって、エイトは明日の光でした。
今ならわかりますが、当時章ちゃんは術後わずか4ヶ月。人の生きる力や気持ちは伝わるんだと、いつも示し続けてくれる人だなあと思いました。
人生のどん底を救ってくれたアイドル、エイトのエイターになった理由でした。
- すばるくんと亮ちゃん
エイターになってから7人を見ることができたのは、実質10ヶ月でした。
その間ライブにも参戦して、シングルも買って、アルバムも買って、めちゃくちゃ楽しかった。7人だからこそ成り立つ関係性が大好きでした。
2018年4月15日、忘れもしない。噂が流れて、本当に1ミリも信じてなくて。ただ前日のたちょのラジオの震える声を聞いて、一抹の不安を覚えた記憶がある。
就職して、研修が終わり、初めての本格業務を迎えた初日。12時。何回読んでも、何回各テレビ局の放送を見ても、信じられなかった。
ただただ、たちょの「僕は彼の後ろでドラムを叩くことが好きでした」、「どこかであなたの歌が誰かの心を震わせていることを願っています」、ひなちゃんの「すばると袂を別つ事になる人生は想像だにしておりませんでした」、よこの号泣につられ、職場にも関わらず号泣していました。
GR8ESTは、伝説の台風公演にあたり、11月17日に公演が振替になりました。
そこで見た彼らは、今までどんな媒体で見てきた彼らよりボロボロで、欠けたピースが明確で、でも必死で力強くてかっこよかった。公演中泣き止むことができなかった。
十五祭、初めての遠征。ヤフオクドーム(当時)8月3日公演。
ジャニオタ大倉忠義による、最高の演出・パフォーマンスを目に焼きつけた。
オーラスで「2015→2016」という映像が流れ、亮ちゃんがいなくなってしまうのではないかと感じていた心は、少し安心した。
でも、それは、亮ちゃんのエイトとしての最後の姿だった。
正直、メンバーがもちろん一番しんどくて、そんなことはわかってる。
けどもうファンもボロボロだった。たちょのラジオにしがみついてた。
まだ私が18歳の頃、5個上の幼馴染が言ってた。
人は自分が信じているものを信じていることが楽なんだよ、と。
それをプライベート含め痛感した怒涛の2年間だった。
すばるくんも、亮ちゃんも、とっても好きだった。
二人がいたエイトは消えないし、もちろん内くんがいたエイトも消えない。
本人たちがそう明言しているから。
いつでも、なんでも、たまに役には立たないこと(メンバーの放屁事情など)までエイターに教えてくれる。
そんな今の、5人のエイトに、いつまでも信じてついていきたい。
- 今、5人と見たい景色へ
ようやく、怒涛の2年半ほどが終わったと、2021年になって感じました。
2020年は47都道府県ツアーにもありがたいことに参戦させていただきましたが、中断。コロナ禍で世の中が不安定な中、一生懸命ファンのみならず、たくさんの人のためにコンテンツを発信し続けてくれたエイト。
シングルは今までの売り上げの上位に食い込み、エイターとしても結果に残せて嬉しかった。
だからこそ、もっと幸せな景色を見てもらいたい。一緒に見たい。
また、いつか、5人がドームで歌っているところが見たい。
別に私はお金持ちでもないし、古参でもない。
多ステも、遠征も、あまり縁がない。
けど自分ができる形で、1mmでもいいから、私の愛がエイトに返せたらなと思います。
ここまで読んでくれた人は気づいてるかもしれませんが、ほとんど自担丸ちゃんの話をできていません。丸ちゃんに対しては、また違う記事でじっくり書きます。
いつもありがとう。本当に愛してます。これからも、5人が大好き。